サブストーリー1 〜父と過ごす日〜


「おまえがこんなにクルマ好きだったとはね。」
私がこの言葉を父に言われたのは2度目だ。
1度目は、私がこのクルマを欲しがった時、そして、今日が2度目だ。

8月初旬の平日、今日私は、父に買ってもらったマニュアルミッションの白いクーペで、父とドライブしている。

私はこの春、大学生になった。
大学に入学するのと同時に、自動車学校にも入学した。
私は、裕也の頃からクルマには興味があり、美保になってからも定期的にクルマの雑誌を読むなどして知識を蓄えていた。
だから、とにかく早くクルマの運転をしたいと思っていた。
私の周りにはAT限定にする友達も結構いたが、もちろん、私はそんな限定をつける気はさらさらなかった。

自動車学校では、ほとんど苦労せずに、時間をオーバーするこもとなく極めて順調に卒業し、本検も1回で合格し、夏休み前までには運転免許を取得することができた。
私は、まさに「好きこそ物の上手なれ」だと思っていたが、教官が女性に甘いということもあったのかもしれない。

私は2年前に突然、裕也から美保になってしまい、最初こそ戸惑ったが、今では普通に美保として暮らせている。
美保の家での期待されないポジションは、私には居心地がよかった。
この甘えた環境を私は気に入っていた。

と同時に世間が女性には甘いことも実感していた。
さらに、私の通う大学の工学部はほとんどが男子学生であることもあり、女子学生である私は大事にされているという実感も持っていた。
そして、好きな車を親に買ってもらえると言う経済的にも恵まれた環境に満足していたし、そんな生活を大いに楽しんでいた。

私のクルマが納車されて一月ほど経つ。
今日、父の仕事がたまたま空いたとのことで、昨夜父が私をドライブに誘ってきたのだ。
父は、納車されて以来、私のクルマに乗りたがっていたが、納車の日に少し運転しただけで、その後は仕事が忙しくて乗っていなかった。

だから、このクルマには、まだ運転初心者の私しか運転していないようなものだ。
だが、私は、クルマ雑誌や運転技術教本でしっかり勉強していたので、それほど戸惑うことなくこのクルマを運転していた。


今、父が運転し、私が助手席に座っている。
家から程近い山のワインディングロードを走っている。
外はまさに夏真っ盛りの緑色だが、車内はエアコンで快適だ。
今日の私は、黄色の地にグリーン系のプリントが施されたTシャツに白いショートパンツをはいていた。
最近の私は、ミニスカートをはくことが多くなっていたが、今日は父と出かけると言うことで、何となくミニスカートは気恥ずかしく感じられた。

「なかなか、運転しやすいな。最近は、国産もよくなった。」
父は、昔からクルマ好きで、私のクルマ好きを知ってから薀蓄をよく言うようになった。
「でしょ。」
私は父の薀蓄が嫌いではない。
「マシンとしては本当によくなったが、やっぱり、味が無いな。」
「味?」
「そう、味。お父さんはずっと今のメーカーのクルマに乗ってきるけど、やっぱり国産とは違うぞ。ハンドル握ればタイヤの状況が分かるし、アクセルの感覚でプラグの調子まで分かる。そういう独自のテイストを大事にしてるんだよ。」
「ふ〜ん。」
私は納得しているわけではないが、私自身、友達とクルマの話をすることがほとんど無かったので、父とクルマの会話をすることが楽しかった。
父にしても、自分のクルマの薀蓄を興味深く聞いてくれるのは、きっと私くらいなので、この会話を楽しんでいるに違いない。
「まあ、まだ美保には分からんかも知れんが。」
父は嬉しそうだ。
「ううん、何となく分かるよ。」
「そうか?」
「うん、お父さんのクルマに乗せてもらうとやっぱり違う気がする。」
「ほう、美保は鋭いな。運転しなくても乗り心地が違うんだよ。お父さんは目をつぶっていても分かる。」
父は調子に乗っている。
「でも、運転するならやっぱりマニュアルでしょ?」
「そうだな〜。お父さんも本当はマニュアルにしたいんだけど、もう年だからなあ・・・。」

美保の父は、裕也の父とほとんど同じ年齢だが、美保の父のほうが10歳くらい若く見える。
裕也の父は、少しお腹の出た典型的な普通の中年のおじさんだが、美保の父は、男前な上におしゃれでカッコいい。
今日の父は、黒いポロシャツにモスグリーンのハーフパンツをはいている。
身体も締まっており、ポロシャツから出ている腕も筋肉質で逞しかった。

「確かに、こうやってマニュアルを運転するのはやっぱり楽しいな。」
父は、コーナーが来るたびに、その逞しい左手で巧みにシフト操作を繰り返した。
「やっぱり、お父さん、上手だね。」
「当たり前さ。お父さんはこう見えても、昔はダートラとかジムカーナとかをよくやってたんだぞ。」
「へえ〜っていうか、その話、前も聞いたけど。」
「あ、そうか?まあ、お父さんは結構速いってことだ。はっはっは。」
父は自分の運転テクニックには自信を持っていて、昔取った杵柄話をよくしてくれた。

「でも、まだ、このクルマは新車だから無理はさせられないな。今どのくらいまで回転あげてるんだ?」
「今5000。」
「5000は上げすぎじゃないか?」
「今の車は慣らしは必要ないって言うよ。でも一応5000までにしてるんだけど。」
「まあ、エンジンだけ慣らししても意味ないからな。ミッションや足回りも少しずつ慣らしたほうがいいぞ。で、何キロ走ったんだ?どれどれ・・・今の車はスイッチを押さないと距離が分かんねえから面倒だな。」
父はそういいながら、メーターのスイッチを何回か押して総走行距離を表示させた。
「4000km!?随分走ったな!」
私は納車されてからは、夏休みということもあり、うれしくて毎日のようにクルマに乗っていた。
「びっくりした?でも、昨日オイルを交換したから、今日はもう少し回してもいいかなって思ってるんだけど。」
「お前、本当にクルマ好きなんだな。お父さんの血かもしれないな。」
それは違うが私は否定しない。
だが、私は父とは本当に気が合った。

父はひとしきり自分で運転した後、今度は私に運転させた。
私の運転テクニックを見るためだ。

「うん、運転1か月にしてはなかなかうまいじゃないか。」
「そう?うれしい!」
「だが、喜ぶのはまだ早いぞ。まだまだ、基本をしっかりやる必要がある。」
「基本?」
「そうだ。走る、曲がる、止まる、の基本だ。まず、発進時のクラッチのつなぎが悪い。具体的に言うと半クラの時間が長すぎる。もっと早く、スムーズに繋ぐこと。ハンドル操作もダメだな。少し忙しくなるとバタつく。常にスムーズに扱わなきゃ。」
父は次から次に指摘した。
だが、どれも的確な指摘だったので、初心者の私にとってはとても役に立った。
私は父の指摘を素直に受け入れた。

「そう!美保うまいぞ。おまえは筋がいいな。」
私も自分で上達しているのが分かり、とても楽しかった。

「とにかく、クルマの運転はスムーズにやることが一番だ。速い奴の運転はスムーズで無理がない。そして、正しい運転テクニックは安全運転にもつながるぞ。もちろん、公道では安全運転が一番だ。安全で速いのが一番。次は安全で遅い運転だ。いくら速くても危険な運転は社会が許さない。その前にお父さんが許さないぞ。」
いつになく熱弁を振るう父だが、正論なので、私は改めてその言葉を素直に聞いた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

私たちは、今日のお昼はそばにすることにした。
父はグルメでもある。
この辺りの、おいしい店もよく知っている。

父は、観光客はもとより、普通の人も知らないようなお店を選んだ。
そのそば屋は、まるで普通の民家のようだったが、玄関のような入り口を入ると常連のお客さんと思われる人たちで賑わっていた。

今日は夏休みとはいえ、平日なので、仕事中のおじさん達がほとんどだ。
おじさんと若い娘の組み合わせは、ここではちょっと異質だ。
私たちが中に入ると何人かの人が私を見た。
(うわっ、何か居心地悪いなあ・・・)

「あ、いらっしゃい。」
お店の人は父を知っているようだ。
「お前、普通盛りでいいよな。」
父が急に聞いてきた。
「う、うん。」
慌てて返事をした。
「大盛りと普通盛り。それとキンピラひとつ。」
(え?大盛りかどうかより、何そばにするか選べないのだろうか?)
父は手際よく注文した。
父も常連のようだ。

父は壁際の2人掛けのテーブルに座った。
私も相向かいに座った。

「お父さん、ここよく来るの?」
「ああ、ここのそばは本物だ。うまいぞ。」
「それより、もりそばしかないの?」
「当たり前だ。うまいそばはもりに限る。」
(はあ?お父さんの好みを聞いてるんじゃないんだけど・・・。)

周りのテーブルを見渡すと、みんなもりそばを食べている。
ざるの大きさに大小あるが、すべてもりそばだ。
どうやら、ここには本当にもりそばしかないようだ。

「お前、いつからそんなにクルマに興味があったんだ?」
先に運ばれてきたキンピラをつまみながら、父がまた話をクルマに戻した。
「小さい頃からずっと興味あったけど。」
「うそつけ。そんなことないだろ。お前、小さい頃はクルマにはまったく興味を示していなかったぞ。お前に比べて、真はやたらクルマのハンドルを握りたがったけどな。」
(しまった。油断した。)
「あー、本格的に興味を持ったのは、高校のときからだったかも・・・。」
私は慌てて取り繕った。
「そうだろう?何かきっかけでもあったのか?キンピラ食え。」
父は話ながら私にキンピラを勧めた。
「別にないよ。」
「そんなことないだろう。ひょっとして男か?」
父は嬉しそうに私を追及した。
「あっ・・・。そうかも。」
「何だと!誰だ!」
私の意外な答えに、極太のキンピラゴボウをかじりながらニヤついていた父の表情が急にこわばった。
「ユウくんだよ。ユウくん。」
「ああ、石川ユウくんか。クルマ詳しいのか。」
「うん。好きみたい。」
「お前、ユウくんと付き合ってるのか?」
父はいきなり直球を投げてきた。
「はあ?なんでそうなるの?付き合ってないよ。卒業してから全然会ってないし。」
「そうか。でも、彼は確か東大行ったんだよな。たいしたもんだ。彼ならいいかもな。うん。」
父は自分で言って自分で頷いていた。
「何がいいのよ。」
父はユウのことを高く評価しているようだ。

「お待ちどうさま。」
そばが運ばれてきた。
早速父は、そばをおいしそうにズルズルとすすり上げた。
「うん、うまい。どうだ、美保。」
私は、美保になってから、麺類を食べるのが下手になった。
というか、ズルズル食べなくなった。
「うん、おいしい。」
「なんだ、お前、その食い方は。そばは少しつまんで、ちょっとつゆにつけてズズッと食うんがうまいんだぞ。こうやって・・・」
そう言って、父はまたそばをズルズルとすすった。
「やってみろ。」
今日の父は何でも私に教えたがるようだ。
私もズルズル食べるのは嫌いではない。
日ごろ、女がズルズルやるのは、はしたないと思っているのだが、今、父からやれと言われたので、この時ばかりは遠慮なくすすった。
ズズズーッ!
思ったより大きな音が出て少しびっくりしたが、この店では周り中でズルズルやっていた。
(気持ちいい。)
久しぶりに音を気にせずに食べるのが気持ちよかった。
私は父の真似をして、少しつまんではズズーッ、少しつまんではズズーッ、を繰り返した。

「どうだ。うまいだろ?」
私がズルズルやっているのを見て、父が嬉しそうにまた聞いてきた。
「うん、うまい。」
私は父のような口調で答えた。
「そうだろう。はっはっは。」

あっという間にそばを食べ切ってしまった。
本当においしかった。
美保になって初めて気持ちよく麺を食べた。
やっぱり麺はこう食べなきゃな、と改めて思った。

。。。。。。。。。。。。。


「高3になる時、お前が理系クラスに行くって聞いたときも意外だったな。」
そば屋を出発して、郊外の道を走りながら助手席の父が話し始めた。
「そお?ホントはあたし、昔から理系だったんだよ。」
「バカ言え。お父さんは、お前を小さい頃から見てるが、お前はお父さんに似て勉強は何でもできたが、決して理系じゃなかったぞ。」
私が美保になって成績をひどく落とした時、父は相当心配していたので、あの時に何かあったのかもしれないと思っているだろう。
だが、父はそのことを口にすることはなかった。
今、私が元気にしているので、あえてそのことを話題にしないのかもしれない。

「今のお前を見ていると、案外社長向きかも知れないと最近思うよ。」
父が意外なことを言い出した。
「どうして?」
私には理由が分からない。
「お前のじいさんはホントに凄い人だよ。ずば抜けて頭がよくて、行動力があって、リーダーシップがあって、それに強烈な個性で人を惹きつけた。今でもそうだが、いつも元気だしな。どんなに仕事で忙しくても、風邪ひとつひかない。お父さんも仕事には自信るし、健康にだって気をつけているが、じいさんのようにはできない。」
「ふ〜ん。」
日ごろ父が会社のことを話すことはほとんどない。
「でも、二代目には二代目の役割があることが最近よく分かる。今の社長に、頭のよさやリーダーシップはそんなに必要じゃない。ちょっとバカな方がいいんだ。」
「なにそれ。あたしがバカだってこと?」
「違うさ。バカって言っても頭が悪いってことじゃないぞ。バカになれるってことだ。お前はバカになれる素質がある。女のくせにこんなにクルマが好きなんだからな。」
「なんか、褒められているのか、けなされているのか。」
「何言ってやがる。最大限の褒め言葉だ。お父さんは人を見る目は厳しいぞ。」
「娘を見る目の厳しいお父さんなんて聞いたことないよ。」
私は小声で呟いた。
「まあいい。お父さんが思うに、お前は変わった。人間が丸くなったというか、面白味が出てきたな。誰かの影響を受けたのかもしれないが、もともとお前が持っていた素質には間違いない。」
「そうかな。」
「今の社長に求められるのは、いかに周りに仕事をさせるかだ。組織と言うものは、うちのような小さな会社も徳川幕府も本質は同じようなものだ。創業者の家康は凄まじい人物だったが、二代目の秀忠以降はそれほどの人物である必要はない。老中以下でうまくやっていったんだ。」
どうも評価がいいのか悪いのか分からない。
「じいさんはああいう性格だ。女の社長なんか絶対認めない。だが、今の時代は違う。お父さんもそう思っている。まあ、じいさんが生きているうちは内緒だけどな。」
父の意外な考えにちょっと驚いた。
本当の美保が聞いたらどう思っただろうか。

父は元々香川家の人間ではないので、香川家をどこかで客観的に見ていた。
香川家が世間に比べて封建的であることを強く意識しているようだった。
その点において、父の考えはよく理解できたし、私も気持ちとしては香川家の外の人間なので、何となく父には仲間意識を持ち始めていた。

「最近お前と話をしていると、どうも息子と話をしているような気になる。何と言うか、女にしてはあまりおしゃべりじゃないし、自分を表に出さないと言うか、ドライというか、こう、きゃぴきゃぴしてないよな。」
日ごろハッキリとものを言う父にしては、随分と感覚的な言い方だ。
「きゃぴきゃぴとか何そのおやじ語。」
とは言いながらも、私は確かに女友達とのおしゃべりは苦手だし、ひとりでクルマを運転しているほうがよっぽど気楽だった。
「まあ、お前が息子だとしたら逆に普通すぎてつまらんかもな。娘だからその性格が面白いのかもしれん。」
「なんか、あたしは変わり者みたいだね。そうかもしれないけど。」
父は私の変化を鋭く分析していた。
しかも、その変化を好ましいこととして考えているようだった。
「まじめな話、社長に必要なものは常識だ。バカになれる常識人だ。お前は常識はちゃんと身につけとけよ。」

私は自分が社長になるなどと考えたこともなかったが、父の話を聞いて、社長が少し身近に思えた。
だが、祖父の影響力がある以上、それは現実的な話ではないし、おそらく母だって了解はしないだろう。

。。。。。。。。。。。。。。。。

「シフト操作はそんなに慌てなくてもいいぞ。」
また、父の教習が始まった。
「え?でも速い方がいいでしょ?」
「まだ、そんなことを考えるレベルじゃない。シフト操作はしっかり確実にやれ。」

今日一日、私は父からたっぷり運転の基本を教わった。
父の教えは的確だった。
私は父に運転のテクニックを教えてもらうことが本当に楽しかった。

「お父さん、今日はありがとう。運転、練習しておくから、また、教えてよ。」
家の駐車場にクルマを止めて私は気持ちを素直に伝えた。
「おお、任せとけ。お父さんも久しぶりにマニュアルを運転して楽しかったよ。だが、美保、社長の話はお母さんにも内緒だぞ。」
そう言って、父は人差し指を口の前に立てた。
「うん、わかってる。それから、そばもまた食べたいね。」
「お、そうか。美保、気に入ったか。あの店は平日しかやってないから、また、休みを取って行こう。」
「うん、期待しないで待ってる。」

私はこの後も何度となく父とドライブした。
私はクルマをきっかけに、父との距離を急速に近づけていった。

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