第1話 ファーストキス
第2話 プライド
第3話 薄れる違和感
第4話 ユウの変心
第5話 二つの人生
第6話 再会
第7話 小さな疑問
最終話 誓い

掲示板

最終話 誓い

財務省 ユウは国家公務員の1種試験に一発で合格し、財務省のキャリア官僚として霞ヶ関で働き始めた。
ユウは、私と入れ替わってから、自分の目標に向かって凄まじいエネルギーで邁進し、次々と難関を突破した。

私は地元の市役所の職員となった。
私が市役所の採用試験を受けたのは、実は父の勧めがあったからだ。

私がユウと付き合い始めて、ユウが国家公務員を目指していることを父に話したところ、どういうわけか、父が市役所の職員募集の情報を私に教えてくれたのだ。
その年はたまたま、私が大学で専攻していた学科に関係する技術系職員の募集があった。
父は、私が市役所に就職することを積極的にバックアップした。
父の会社は市からも多くの仕事を受注していたからかも知れなかったし、何より私をそばにおいて置きたかったのかもしれない。

父は、市長をはじめ市の幹部職員には顔が利いた。
さらに、今の市長は祖父が随分と面倒を見たという話も耳に入っていた。
だからかどうかは分からないが、父からは「とにかくお前は試験を受けさえすればいい。」といわれて試験を受けた。
試験の手ごたえは決して芳しくはなかったが、結果は父の言うとおり合格した。

私は、ユウに対しては、「一緒に試験勉強をがんばりたい。」とは言っていたが、実際には大した勉強もせずに公務員に合格した。
おそらく、ユウは必死に努力をしてキャリア官僚になったに違いないが、私は何の努力もせずに就職したようなものだった。
美保という人間は、努力してもしなくても生まれながらにしてそういう星なのだろうと思った。

実際、私の地元のような田舎の市役所の試験など、未だに、そんないわゆるコネがものをいう世界なのかもしれない。
実力一本でキャリア官僚になったユウとは好対照だ。

もっとも、私自身はどうしても公務員になりたかったわけでもなかったし、もし就職が決まらなくても、おそらく父が何とかしてくれるに違いない、という甘い考えを持っていた。
さらに言えば、この頃は、漠然とユウとの結婚も考えていたので、最終的にはそこに納まることもできるとも思っていた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

詩織は大学を卒業し、そのまま東京で就職しOLをやっている。
だが、お互い大学を卒業してからは会っていない。

私は、ユウと付き合い始めてから、本当の女の悦びを知った。
と同時に、私がいくらがんばっても、詩織にその悦びを与えることができないことを悟った。
私は、ユウと付き合い始めてからも、半年ほどは詩織との関係は続けていたが、ユウとの関係が深くなればなるほど、詩織に対する愛情の限界を感じ、詩織と逢う頻度が徐々に少なくなっていった。
私は、詩織と明確に別れたわけではなかったが、自然と関係が希薄になっていった。

詩織も私の気持ちが分かっているかのように、私との関係に固執するようなことはなかった。
まるで、私が女として本当の恋愛ができるようになったことを確認し、自分の役目を終えるように私からフェードアウトしていった。

私は、ユウに抱かれ、女としての悦びを重ねるたびに、入れ替わったことへの拘りは薄れていった。
そして、今の私はもう、入れ替わったことを意識することはほとんどなくなっていた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

キャリア官僚としてのユウの仕事は激務だった。
新人として仕事を始めた4月から、いきなりタクシー帰りの残業が続いた。
私たちは、5月の連休中にユウの休みに合わせて1日だけ会うことができた。
私たちは、短い時間の中でもお互いの新しい環境について語りあうとともに、愛し合うことも忘れなかった。
ユウは、激務が続く中にあっても、自分の仕事に責任と誇りを持って、精一杯取り組んでいることを私に伝えてくれた。

しかし、その後ユウの仕事はますます忙しさを増していき、結局はじめの1年間で私たちが会えたのは、数えるほどしかなかった。
私は、淋しさはあったが、ユウが壮大な目標に向かってがんばっていることは十分理解していたので、我慢した。

私も、新しい環境に馴染むのに苦労していた。

私は、技術系の職員として、許認可の技術的な審査を行う部署に配属された。
同期の事務系の女子職員の中には、お茶汲みやコピー取りなどばかりで、ちゃんとした仕事を任せてもらえないとこぼす人も多かったが、私の場合は、男子とまったく変わりない仕事が与えられた。

本来、許認可の審査は法律に基づいて行われるものであるが、私が担当した許認可には市役所の裁量がかなり認められており、いわゆる行政指導が大きく幅を利かせていた。
許認可の決裁は組織で行うものであったが、許認可するかどうかの案は私が判断して作成しており、通常は私の案が覆されることはなかった。
つまり、許認可するかどうかは、一担当である私が判断して決めているようなものだった。
同じ仕事をしている技術職の先輩も何人かいるが、皆同じように自分で判断をしていた。
新人として配属された当初こそ、先輩に判断の基本を教わりながら仕事をしていたが、半年もすれば一人で判断を任されるようになった。

このような実情を良く知っているのか、許認可が欲しい会社の偉い人たちが私のところにお願いに来ることは日常茶飯事だった。
今まで甘やかされて大学生活を送って、何となく市役所の職員になった若い女の子に、会社の社長が頭を下げる構図は滑稽でもあったが、一方で、その仕事の影響の大きさと責任の重さは、鈍感な私にとっても大きな重圧として圧しかかり、精神的にも相当なストレスとなっていた。

また、市議会議員からの要求や住民からの要望、さらにはトップダウンによる突然の無理な指示など、様々な圧力を受けることも多く、最初の1年は、とても自分には勤まらないと思いながら、やっとの思いで仕事をこなしている状態だった。
同じ給料にも関わらず、のほほんと給湯室でおしゃべりをしている事務系の女子職員を横目で見ながら、その姿を羨ましく思っていた。

しかし、私は仕事を続けるうちに、自分の仕事の意味を徐々に理解し、やりがいと責任を持ってその仕事に取り組むようになっていった。
私が前向きに仕事に取り組むことができるようになったのは、同じ技術職の先輩の影響が大きかった。

先輩達は仕事に厳しかった。
どんな圧力にも屈することなく公平に審査をしていた。
自分の仕事に誇りを持っていた。
また、仕事の上で私を女扱いすることもなかった。
私の仕事に対しても厳しく指導してくれたし、私の仕事上の悩みにも真剣に応じてくれた。
行政特有の仕来りについては親切に教えてくれる一方で、専門の知識についてはプロとして妥協のないものを求められた。
最初の一年は本当に辛かったが、良い先輩に恵まれたことは本当に幸せだった。

もちろん、ユウのがんばりも、私ががんばれた大きな要因だったことは言うまでもない。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私たちが就職して3年目、ユウは札幌に異動を命じられた。
ユウにとって、この人事は相当意外なものであったようだが、ユウは私に対しては、それを前向きに捉える様子を見せて札幌に行った。

ところが・・・

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私も仕事をはじめて3年目となり、重要な案件も任されるようになっていた。
また、後輩も配属され、仕事を教える立場にもなっており、私も多忙な日々を送っていた。

ユウが札幌に行ってから、私はユウとはメールのやり取りしかしていない。
本当は5月の連休に札幌に会いに行こうと思ったのだが、私自身いくつかの予定があったこともあり、迷った末に今回は見送ることにした。

私は、この頃ユウとの結婚も漠然と想い描いていたはいたが、お互いに仕事が忙しかった上、私自身も自分の仕事をやり続けていきたい気持ちが大きくなってきており、結婚の話が具体的になることはなかった。

連休最後の日曜日、今日は市主催のイベントが中央公園で開催されており、私もその手伝い要員として駆り出されていた。
天気にも恵まれ、たくさんの市民が中央公園に訪れ、大変な賑わいになっていた。
市役所の職員は皆、イベント用の蛍光がかった緑色のウインドブレーカーを着ている。
私もその派手な格好をして、お客さんである市民の対応をしていた。
対応中に、ケータイにメールの着信があったが、お客さんの前でチェックするわけにも行かないので、この日ばかりはチェックは後回しだ。
思い出のあのベンチの周りにも大勢の人がいて、一休みする人たちでいつも満員だった。

午後になり、私はベンチを見通せる木陰に腰をおろし休憩をとった。
私は、ウインドブレーカーのポケットからケータイを取り出し、何気なしにチェックをすると、ユウからメールが来ていた。

『ごめん』

一言だけのメールだった。
受信時刻を確認すると1時間以上前だ。
私は、心に一瞬不安がよぎり、早速返信した。
『どうしたの?』
少し待ったが、返事はなかった。
気にはなったが、またイベントに戻らなければならなかったので、そのまま自分の役割に戻った。

夕方、イベントが終了しユウに電話をかけた。
しかし、電源を切ってあるのか圏外なのかは分からなかったが、繋がらなかった。
その後、寝るまでに何度か電話をかけたが、やはり繋がらなかった。
昼間のメールが気にはなったが、今の私にはそれ以上は何もしようがなかった。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

そして、次の日、連休明けの月曜日に仕事をしていると、私のケータイが着信を知らせた。
母からだ。
仕事中に母が電話をしてきたのは初めてだった。
今まで用事があるときはメールで済ませていた。

私は、とてつもない不安を覚えた。

悪い知らせの予感がした。

そして、それは的中した。

『美保、落ち着いて聞きなさい。ユウくん、亡くなったって・・・』

母の声は震えていたが、私ははっきりと聞き取った。

その衝撃的な言葉に、私の心臓が大きく鼓動した。
そして、一瞬にして私の目の前から景色が消えた。
私は頭の中が真っ白になり、何も考えることができなかった。

私はどうにか上司に事情を伝え、そのまま休暇をとり、家に帰った。
。。。。。。。。。。。。。。。。。

ユウが自殺したという。
日曜日の昼間、職員住宅の屋上から飛び降りたとのことだった。
私へのメールはその直前だったようだ。
遺書はなかった。
警察は、発作的な行動だろうと推定していた。
同じ職場の同僚も、信じられないとのことで、連休前までは熱心に仕事をこなしていたと言う。

ユウは札幌への異動は本意ではなかったとは思うが、まさかこんな行動にでるとは考えもしなかった。

ユウは、自分の目標に向かって邁進し、そして自分の計画通りにひとつひとつ達成してきた。
高校以来、何事にも1番を目指し、そしてそれを達成してきた。
今回の異動が、ユウにとってどのような意味を持っていたのか、私にはわからない。
だが、ユウの考えた計画通りでなかったことは間違いないだろう。
いままで一度も挫折を経験してこなかったユウは、それを取り返しのつかない失敗と考えてしまったのだろうか。
いくら発作的な行動とはいえ、それほどまでにユウは絶望してしまったのだろうか。

どんなに考えても、私には分からなかった。

私はユウがそこまで追い詰められていたことに、まったく気が付かなかった。
ユウは私に弱みを見せたり、弱音を吐いたりしたことはなかった。
だから、ユウは何でも一人で乗り越えて行けると思っていた。
事実ここまでそうしてきたし、これからもそうするものと信じていた。

だが、ユウだって人間だ。
完璧であるはずがない。
挫けそうなこともあったろうし、悩みもあっただろう。
そんな、あたりまえなことに気が付かなかった。

私はユウの役に立ちたいと、ずっと思ってきたが、相談相手にすらなれなかったということなのだろうか。
私自身、仕事が忙しかったこともあるが、最近はユウとゆっくり話すことはほとんどなかった。
何かひとつでもユウの悩みを聞いてあげられれば、こんなことにならなかったはずだ。

もし、連休に会いに行っていれば・・・
もし、昨日のメールをすぐに返信していれば・・・

悔やまれた。
悔やんでも悔やみきれない。
悔やんだところでユウは戻らないが、悔やむことばかりが頭に浮かんできた。
涙が次から次にあふれてきて止まらなかった。

とにかく、ユウは死んだ。
死んでしまった。

ユウは8年前の高校2年のあの夏祭り以降、全力で人生を走り抜け、そして、あっけなくその幕を下ろした。
結局、ユウは私に真実を明かすことなく死んでしまった。
それとも、明かすべき真実は本当になかったのだろうか。
しかし、今の私には、そのことに対するショックよりも、最愛の人を失ったという喪失感のほうが大きかった。

私は、近い将来ユウと結婚し、幸せな家庭を築けるものと思っていた。
自分の未来はユウと一緒にあるものと信じていた。
だから、ユウのいない世界は想像したこともなかった。
今の自分にとって、ユウはとてつもなく大きな存在となっていた。

だが、もうユウはいない。

私は、何をしたらいいのか分からなかった。
自分の進むべき道が見えなくなってしまった。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

告別式が終わり、一週間たったとき、ユウのお母さんが私の家を訪ねてきた。
ユウのお母さんは、私の記憶では高校2年まで私の本当の母だ。
私は、ユウと付き合いはじめた大学3年のときから、時々顔を会わせるようになった。
はじめの頃は、懐かしさと照れくささによる複雑な感情で接していたが、最近では、普通に「ユウのお母さん」として話ができるようになっていた。

ユウが死んで以来、お母さんの精神的なショックは大きく、すっかりやつれている。
その痛々しい姿を見ることは本当に辛かった。

「美保さんには、本当にいろいろお世話になって、ありがとうございました。」
ユウのお母さんは、気丈にやさしい笑顔で頭を下げた。
「いえ、そんな。こちらこそユウくんには助けられてばかりだったんです。」
私は本音で答えた。

「今、裕也のものを少しずつ整理しているんだけどね、昨日こんなものが出てきたの。」
そういって、紙袋の中から、きれいな絵が印刷されたお菓子の空き缶のようなものを取りだした。
「はい・・・」
「それで、この缶の中にね、『美保の日記』って書かれた紙と一緒に、これが入ってたんだけど・・・」
お母さんは、そういいながら、空き缶のふたを開けて、中から茶色いカバーの小さな冊子を取り出した。
「あっ!」
私は絶句した。
私は瞬間的に、入れ替わった次の日にユウに渡した日記のことを思い出した。
これは、あの日記ではないのか。
私はあの時に一度見ただけで、外観はもう覚えていないが、『日記』と言ってユウに渡したことは覚えていた。
「あ、やっぱり、美保さんのものだったのね。たぶん大事なものだと思って、中は見てないから安心してちょうだいね。」
「は、はい・・・」
私は、心臓が飛び出そうになるくらい驚いた。
これは、間違いなくあの時の日記だろう。

やはり、私たちは入れ替わったのだ。

「それじゃ、美保さん、これは置いていきますね。本当にいままでありがとう。」
お母さんはそう言って、帰ろうとした。
その時。

「お母さん!!」
とっさに私は、そう言って、お母さんに抱きついた。
瞬間、本当のお母さんという気持ちになっていた。

「えっ!?美保さん、どうしたの?」
お母さんは、戸惑いながらも私を受け止めてくれている。
「おかあさん・・・・」
私は抱きついたまま、もう一度言った。
懐かしいお母さんの匂いがした。
涙が溢れてきた。
「美保さんも辛いのね。裕也のことをこんなに想ってくれていたなんて。」
お母さんは私を受け止めながら、私の背中をそっと撫でた。
「お母さん、ごめんなさい・・・。」
「美保さん、謝るのは私のほうよ。こんないい娘さんに悲しい思いをさせてしまって、本当にごめんなさいね。」
お母さんは優しくそう言ってくれた。

「じゃあ、美保さん、お互いにがんばりましょうね。」
お母さんは、最後まで優しく、そして私を気遣いながら帰っていった。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

日記は存在していた。

私は自分の部屋に戻り、日記の入った缶を小さなテーブルに置いた。
そして、缶を開け日記を取り出した。
茶色い皮風のカバーがかけられていた。

(これを見れば何かが分かるのだろうか?)

ユウが頑なに存在を否定し続けてきた日記が、今、目の前にある。
私は期待と不安が入り混じり、日記を開けることが急に怖くなった。

しばらく迷ったが、思い切って日記を開いた。

日記は、あの年の1月1日から始まっていた。
ほぼ毎日何らかのコメントが書かれていた。

4月の始業式の日には、既に裕也のことが書かれていた。
美保は初めから裕也を気にしていたようだ。
席が隣になったことを好意的に書いている。

日記を読みながら、当時の記憶が少しずつ蘇ってきた。
そして、裕也として美保が好きだった気持ちを思い出し、胸が締め付けられるように苦しくなった。

(あの時まで、私は確かに裕也だった・・・)

日付が進むに連れて、裕也に関する記述はどんどん増えていった。

7月に入ると、日記に天気に関する記述が開かれるようになっていた。
おそらくその日の天気と気温や湿度といった気象のデータと思われる数字が書かれているようだった。
それらが2段書きになっているところから察すると、予想のデータと実際のデータを並べてあると思われた。

そして、あの夏祭りの日、日記には『X−day』と書かれ、その前の日までと同じようにデータが2段書きで書かれていた。

(当時の美保は、何かを実行しようとしたのだろうか?)

そして、その日以降には何も書かれていなかった。


さらに、日記には、折りたたまれたA4の紙が2枚、裏表紙に挟んであった。
英語で書かれた論文のコピーのようだ。
ヘッダーには『Journal of Psychology Vol.108 (1982) 』と書かれている。
(心理学の論文集だろうか?)
『Consideration concerning mechanism of rewriting memory
Thomas Smith / The University of Glasgow』
グラスゴー大学のトーマス・スミスという人の論文のようだ。
(メモリーの書き換え?心理学らしくないテーマだ。)
なんで、こんなものを日記に挟んでいるのだろうか?

英語の論文なので内容は全く分からなかったが、当時の美保が書いたと思われる単語の意味が所々に書き込まれていた。

私は、しばらく使っていない英語の辞書を本棚から引っ張り出し、論文の内容を翻訳した。
翻訳し始めてすぐに、この論文が人の記憶の書き換わりに関する内容だということがわかった。
これは入れ替わりの核心に間違いない。
私は、時間が経つのも忘れて、翻訳に集中した。

そして、論文の内容がほぼ分かった。
次のような内容だった。

イギリスでは古くから人が入れ替わった記録があるという。
心理学者のスミスが、心理学の観点からそれらの記録を集め、分析した結果を取りまとめたものだった。
古くは19世紀初頭から現在に至るまでの、イギリスを中心に、ヨーロッパ、そして世界中から48例の記録を調査し分析したという。
日本においても1例あるとされていたが、その具体的な内容は記載されていない。

その結果、人の入れ替わりは脳の書き換えによるものであり、一対の人間の間に一定の条件が揃うと、コンピューターのメモリが書き換わるように、それぞれの脳が書き換わる、との仮説を立てており、今後は神経科学の観点からの立証を期待するとされていた。

48例には、いくつかの共通点が見られると言う。
入れ替わった例のほとんどは17歳以下の若い男女であり、その年齢や民族、そして生活環境が非常に近いということがあげられていた。
脳の構造が似ていることがひとつの条件であろうとしている。
そして、そのきっかけについては、記録がハッキリしないものが多いものの、二人の頭が何かの拍子にぶつかるとか、キスなどスキンシップといった、頭部の何らかの物理的な接触がきっかけになるのではないかとしていた。
また、そのほかにも気温や湿度などの気象条件や地理的な条件が影響している可能性が高いとしているが、具体的にどのような条件なのかまでは明らかにされていなかった。

多くの場合、性格や性質といった先天的な部分と記憶などの後天的な部分は同時に書き換わる。
しかし、中には不完全な書き換わりも見られ、例えば、記憶は変わらないが性格が入れ替わってしまったケースや、その逆のケースもある。
スミスは先天的な部分の方が書き換わりやすいと推定している。
また、片方の人間だけが書き換わるケースや、二人の性格や記憶が混在してしまうケースも見られるという。
これは様々な条件によって、書き換わりの質や程度に差が出るのではないかと推定している。
そもそも、脳の書き換えが起こること自体が非常にまれなケースなので、その条件を解明するには、実例が少なすぎるし、科学的な立証もこれからであるため、この論文は研究の端緒に過ぎないとしている。

だが、私たちに当てはめてみると、この論文に書かれている一定の条件を満たしているように思われた。
この論文の仮説が事実であり、私たちに起こったことがこの仮説のとおりだとすれば、私はあの夏祭りの日に脳が書き換えられてしまったことになる。
私は初めから美保であり、記憶や性格が裕也のものに書き換えられたということだ。
しかし、このことは、私たちの主観で見れば、まさに身体が入れ替わったのと同じことだ。

そして、この論文には、脳が書き換えられた人々のその後についての、驚くべき状況についても触れられていた。
それは、書き換えられた人のほとんどが既に生存していないということだった。
特に、男性の脳に書き換えられた女性は10年以内にすべて死亡しているとのことだった。
その死因については、現実を受け入れられずに、精神に支障をきたし、自ら命を絶っているか、または、原因不明の事故死や病死を遂げている、とされていた。


ユウはこの論文をどう捉えたのだろうか?
ユウは美保の立場を不満に思い、裕也になりたいと思っていた可能性は大いにあると思われる。
日記の『X−day』という記述から推測すると、ユウはあの夏祭りの日が一定の条件を満たしていると確信して、行動していたのではないのだろうか。

しかし、この論文だけで確信を得るには少し情報が足りないようにも思える。
日記に残されている気象データについても、論文には具体的なことは一切書かれていない。
ユウはこれ以外にも何らかの情報を持っていたのだろうか。
そして、自分なりに分析をして、ある程度の確信に近いものを得ていたのかもしれない。

だが、もし、ユウが確信を持っていたとしたら、自分のわがままに人を巻き込むようなことをするだろうか。
しかも、巻き込まれた人のその悲劇的な「その後」を分かっていてまで、実行するだろうか。

ユウもこの論文の仮説を100%信じていたわけではあるまい。
半信半疑のまま、興味本位で行動を起こしたのかもしれない。
あるいは『X−day』というのは、入れ替わりとは関係なく、単に裕也に告白するなど何らかの行動を起こす日として美保が書き込んでいたのかもしれない。

ところが、様々な条件が偶然重なって、あの論文に書かれていたことが起こってしまった。
それが必然だったにせよ、偶然だったにせよ、現実に起こってしまった。

ユウは、ある程度の可能性を感じて実行したことであるので、入れ替わりを受け入れることはできる。
しかし、論文に書かれていることが事実とすれば、私はきっと受け入れられないだろうと、ユウは考えたに違いない。
事実私は入れ替わった当初は、現実を受け入れられず、元に戻ることを考えていた。
ユウが現実を受け入れてどんどん裕也に馴染んでいくのを見て、どうしようもなく焦っていた。
だから、私が悲劇的な「その後」を辿ってしまうことを回避するために、無理をしてでも、ユウは入れ替わったことを否定し続けたのではないだろうか。
ユウは自分が起こした行動により、結果として私を巻き込んでしまったことに大きな責任を感じ、絶対に私を不幸にしてはならないと考えたのではないだろうか。
そう考えれば、いままでのユウの行動が理解できるような気がした。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


次の土曜日、私は駅前の喫茶店で詩織と会った。

私は、日記を受け取った日、詩織に連絡を取り、日記があったこと、入れ替わったことが真実であったことを伝えた。
すると、詩織は会って話をしたいと言ってきたので、私たちは今日ここで会う約束をしていた。

詩織とは、ユウの告別式の日に久しぶりに顔を合わせていたが、私があまりにも動揺していて、その時は落ち着いて話をすることができなかった。
詩織は私を気遣う言葉を何度もかけてくれていたことは覚えているが、私がその言葉をうまく受け止められなかった。

「美保、大丈夫?落ち着いた?」
詩織は心配そうに話しかけた。
「うん・・・。何とか。」
「そんなに簡単には気持ちの整理つかないよね。」
「ううん。大丈夫。ごめんね、心配かけて。それより、これが日記。」
私は、そう言って、バッグから日記を取り出し、テーブルに置いた。
「うん。」
「やっぱり、ユウは持ってたの、この日記。」
「そう。」
詩織は何となく浮かない表情で相づちを打った。
「それでね、中に挟まっていた論文がこれ。」
私は、論文のコピーを広げて見せた。

「ねえ、美保。落ち着いて聞いてくれる?」
詩織が私の言葉をさえぎり、真剣な表情で私を見つめた。
「うん?・・・なに?」
私は戸惑いながら詩織の顔を見上げた。
「あたし、知ってたの。」
「えっ!?知ってた・・?なにを・・?」
「日記のこと。」
詩織は私から目をそらし、うつむきながらそう言った。
「ええ?どういうこと?」
私には訳が分からなかった。

この日記は昨日ユウのお母さんから私が預かったものだ。
それまでは、ずっとユウが持っていたものだ。
詩織が日記のことを知っているはずがない。

「美保、ごめんなさい!」
詩織はそう言って、突然泣き崩れた。
他のお客が一瞬私たちに注目した。
「ど、どうしたのよ、詩織。」

詩織は、ゆっくりとその理由を話し始めた。

。。。。。。。。。。。。。。。。

あの8年前の夏祭りの日、美保は何かを決心していたようだったという。

詩織は、美保が裕也に告白するものと思って、それに協力したのだった。
裕也たちが夏祭りに行くという情報をつかんだ美保は、詩織ともう一人の友達を誘って夏祭りに出かけた。
もちろん、裕也たちに遭遇するためだ。
計画通りみんなが遭遇すると、詩織は、美保と裕也が二人だけになれるように振舞ったという。
そして、それはうまくいった。

だが、その後の展開に詩織は驚いた。
その夜、ユウから電話がかかってきて、自分は美保だと説明された。
俄かには信じられなかったが、美保と詩織しか知りえないこともユウが知っていたので、半信半疑ながらも信じざるを得なかった。
さらに、詩織はユウから、今の美保にこのことを言うと取り返しのつかないことになると言われ、絶対に美保には言わないように固く口止めされた。
そして、詩織は、その後のユウと美保を観察し、それが事実であることを確信した。

だから、詩織はユウが日記のことを美保に黙っていたことを知っていたという。

。。。。。。。。。。。。。。。。

「美保・・・、本当にごめんなさい・・・。」
詩織はそこまで話して、また、泣き崩れた。

信じられない。
私は、二人にずっと騙されていたというのか。

「それじゃ、詩織がわたしのことを好きだといったのもウソだったの?」
私は、ふと思った疑問をぶつけた。
「違う!それは、ウソじゃない・・・。」
詩織は即座に否定した。
「そんな・・・、信じられないよ・・・。」
私には、今の詩織の言葉を素直に信じることができなかった。
「美保、これだけは信じて、お願い。あたしが美保を好きなことは本当だよ。あたしがユウくんを好きだったことも本当。苦しかった・・・。」
詩織は必死に訴えた。
しかし、詩織が言葉を重ねれば重ねるだけ、それがウソのようにも思えてしまう。
今の私には、詩織の言葉を直ちに受け入れられるだけの心の余裕がなかった。

だが、だからと言って、詩織を責める気にはなれない。
私は詩織に今まで何度助けられたかことか、どれほど支えてもらったことか。
詩織の言葉がウソであれホントであれ、今の私がいるのは、詩織がいてくれたからこそであることは紛れもない事実だ。
もし、詩織がユウとの約束を破り、私に本当のことを伝えていたとしたら、あの論文に書かれているように私は生きていられなかったかもしれない。
8年前、私が現実を受け入れざるを得なかったのは、二人が本気で私を騙してくれたからに違いない。
そう考えると、詩織には、むしろ感謝すべきなのではないか。

「詩織・・・、今まで、私のためにありがとう・・・。」
私は、どうにか気持ちを落ち着かせ、そう言った。
「美保、本当にごめん。許して。」
詩織は謝り続けた。
「そんなに何度も言わないで。許すも許さないも、あたしは詩織には感謝するしかないよ。今まであたしのために本当にありがとう。そして、これからもよろしく。」
「美保・・・。」
詩織は、相変わらず心配そうな表情をしている。
本当のことを知ってしまった私が、ユウの言った「取り返しのつかないこと」になることを心配しているのかもしれない。。

詩織の心配を本当に取り除くには、私が入れ替わったことを忘れてしまうのが一番いい方法なのだろう。
しかし、忘れることなんてできないし、私は忘れたくない。

8年前のあの夏祭りの夜、私は自分で望むことなく、美保になってしまった。
美保の、裕也になりたい、という気持ちに巻き込まれて、美保になってしまったのかもしれない。
それが、必然だったのか偶然だったのかは分からない。
しかし、今私はそのことを恨んではいない。

ユウは、結果としてユウの両親を最大限に悲しませてしまっている。
このことは紛れもない事実だ。
だが、ユウは入れ替わって以降、ユウの両親にとても大きな喜びと期待を与えてきたはずだ。
人生に「たら・れば」はないが、もし、私が裕也のままだったとしても、私が両親にどれだけのことをしてあげられたのだろうか?
私には到底、ユウがしてあげたほどのことを両親に与えることはできなかったろう。
親にとって子供が先立つことは究極の親不孝であり、ユウの両親の悲しみは他人には推し量れないほど深いに違いない。
しかし、ユウの両親は、自分の信念に基づいて目標に向かって全力で生きたユウのことを、決して親不孝者とは思わないだろう。
きっと自慢の息子として誇りに思っているはずだし、そう信じたい。

なにより、私自身、美保の環境に甘えながら生きてきたが、結果として、今の私はやりがいのある仕事を見つけ、自立して生きていくことができるようになっている。
これも、詩織が心の支えとなってくれて、ユウが私に生きる道を示してくれたからこそと思える。

入れ替わってから今までを振り返って見れば、私は私らしく生きてきた。
ユウと詩織のおかげで幸せだった。
そう思える。

しかし、もうユウはいない。
これからは、ユウに甘えることはできない。
だが、私にはユウと一緒に過ごした思い出がある。
それに、詩織というかけがえのない親友がいる。

「もう、あたしは大丈夫。あの論文に書かれているような取り返しのつかないことには絶対ならない。だって、あたしには、あたしのことを本気で思ってくれている詩織がいるから。」
私は、詩織にそう誓った。
「うん。」
やっと詩織の表情が和らいだ。

「ねえ、久しぶりにパン屋さん行かない?」
「うん。お腹すいた。」


私は、心の中でもう一度固く誓った。

ユウががんばって生きたことを無駄にしないためにも、絶対にがんばる。

そして、ユウの分まで一生懸命生きる。

記憶の中の僕と共に。

(おわり)

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■ 記憶の中の僕 ■

第1話 ファーストキス
第2話 プライド
第3話 薄れる違和感
第4話 ユウの変心
第5話 二つの人生
第6話 再会
第7話 小さな疑問
最終話 誓い

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